いばやスタイル実践記〜歌とACIMと ときおり数秘

ACIM(奇跡講座・奇跡のコース)学習者による ibaya《いばや》坂爪圭吾さんリスペクトブログ。即興の歌やトリニティ数秘術、クリスタルボウルについても語ります


    場所:菊名 Scramble House Tokyoの2階 (外階段をあがって右側、最初の扉)
    定員:1名(ただし事情がある場合は応相談)
      使いたいかたはKまでご連絡ください
      メインの畳の部屋と、板の間の台所の二部屋です。
      電気、照明あり。水、トイレあり。ガスは当面 使えません。
      シャワーは1階でお願いします。
      ベッドも布団もありません。
      空気で膨らませるソファがありますが、寝るには不適かも。
      (ドライヤーと扇風機を1階から借りてきて設置してください)
      宿泊希望の方は、当分の間、寝袋持参でお願いします。



ACIM(コース)はこの世界で生き残れ!とは言わない/この世界を越えるためこの世界を活用せよと言う

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。

 

今日はACIM(コース、A Course in Miracles ア・コース・イン・ミラクルズ)について。

 

 ACIMは「この世界で成功せよ」とは言わない。
この世界の何かの分野で一番になれ! とも言わない。
この世界で生き残れ! とも言わない。
この世界での成功や失敗が何か、ということについても語らない。


そんなことはどうでもいい、と言う。
むしろ、この世界を超えろ、と言う。

この世界は、振り向いたら風と共に消え去っている
ふっと吹き払われたら一瞬でなくなるチリと同じなのだ
その中で成功しようと失敗しようと、ほんとのほんとにどうでもいい
と言う。

 

この世界を越えるために、この世界を活用する。
その方法をACIMは教える。

 

もちろん、豊かさを分かち合ってもいい。
独り占めにしてもいい。


いずれにしてもこの世界では その状態はいつか変わり、新たな様態を呈し、何か新たなものが生まれたかと思えば古いものは崩れ去ってゆく。
そして、しまいにはこの星もチリとなって消える。
それらをいいとか悪いとか判断を下したり、嬉しいとか苦しいとか様々に感じたりしながら、私たちは生きている。
そんなふうに見える。

この世界では「人一倍努力をして備えておかないと大変なことになる」と脅しをかけられる。
聖霊は生き残るために何かをする必要はないという。
ただ、神に心を向けようとするほんのわずかな意欲だけでいいという。

私は聖霊についていこうと思う。
このままの私をただただ受け止めてくれるのは聖霊だから。
共に手を取り合って、進んでいこう。
神のもとへ帰る日まで、励ましあっていこう。

ときに、自分がなにをしているのか わからなくなったとしても。
ときに、もうこんなことは嫌だと投げ出したくなったとしても。

聖霊はいつもそばにいてくれる。

神が私を包み込んでいることを、何度も辛抱強く教えてくれる存在。
決して一人きりではないと、微笑みとともに囁いてくれる存在。

いつもいつも、助けを求め、助言をもらい、励ましてもらおう。
ときには先を歩いてもらい、ときには後ろから優しく背中を押してもらおう。

そんな存在にいつも守られていることに気づくことができて、本当に良かった、ありがたい、と心から感じている。

 

「私にできることはなんですか」「なにをしたらいいですか」

いつも耳を傾けていよう。

一人で決めてしまわないように。一人でやろうとしないように。

 

今日も一日、聖霊頼み

 

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聖霊とはなにか/聖霊とは真理へと導いてくれる神の声/そして究極的には自分のハイヤーセルフでもある

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。

 特に何の説明もせず、聖霊聖霊と書いてきたけれど、そもそもACIM(コース)を始めた時には、贖罪と並んで よくわからない言葉の筆頭だった「聖霊」。

ACIM(コース)をご存じなく また キリスト教徒でもない読み手に対して、何も説明がないのでは あまりにも不親切だろうと、遅まきながらも気づいたので、説明を試みてみる。

聖霊」とは…
真理へと導いてくれる神の声。真理と幻想とを結ぶもの。真理のことも幻想のことも、どちらもわかってくれる存在。この世界という幻想に対する神の答え。

(まあ、神はこの世界なんて知らないのだけれど。え?神って全知全能でしょ?と思うかもしれないが、そもそもこの世界のほうが一瞬 現れたかに見えてすぐに消滅した幻なのだ。だからこの世界のことを神は知らないし、もちろん神は全知全能のままである。) 

そして、聖霊とは究極的には自分のハイヤーセルフでもある。

私は聖霊に呼びかけるとき、「聖霊さん」とか「ホーリースピリット」とは呼ばない。けれど前回の記事もそうだったが、ブログに書くときには「聖霊」と呼びかけている体で書いていた。そうしたほうがわかりやすいのではないかと思ったから。

けれど、やはり違和感がありすぎるので、今後は自分がふだん呼びかけているとおりに書くことにする。

 

ふだん私は聖霊に対して「J(ジェイ)」と呼びかけている。

私がACIM(コース)を学びなおすきっかけとなった本『神の使者』の中で、イエス(イェシュア)に対する呼びかけとして使われていて、聖霊に呼びかける習慣を身に着けるとき、私もそれに倣っていたから。「J」とか「J兄さん」とか呼んでいたので、今さらほかの呼び方にするほうが不自然で。

なので、これからACIM(コース)関連の話の中で「J」と出てきたら、聖霊への呼びかけなのだなと理解してほしい。

 

ここまで書いておいてなんだけれども、実は、聖霊のことは どう呼んでもかまわない。お釈迦様でもマリア様でも、もしも信じている宗教があって信頼できる何か(誰か)があるならそれへの呼びかけでいいし、ニューエイジ系のかたなら「大いなる存在」とか「ありてあるもの」など、自分が信頼できると思える何か好きな言葉で呼びかければいい。

その本質は、今この瞬間も神(源)と一つであることを忘れていない自分の側面であり、神と 神を忘れた自分とをつないでくれる架け橋であり、結局は自分のハイヤーセルフなのだから。

偶像化する(それに力を預けてしまう・明け渡してしまう)ことにだけ、気をつければいい。

 

大切なのは、常に聖霊に相談すること。

聖霊といつも一緒だということを忘れないこと。

 私はだいたい、いつも一緒だということを忘れてしまって、一人で決断を下したり物事を進めようとしたり、そんなことをしてしまう。

一人でしようとするから「間違えるかも」と過ちに怯え、「失敗しないようにしなくちゃ」という重圧と緊張感に苦しむ(「間違い」や「失敗」は捉え方次第、という議論はここでは置くとして)。

 

聖霊とともに決断すれば あるいは聖霊とともに物事を進めれば、失敗はあり得ず、変なプレッシャーにさらされることもない。

「自分が掌握できる範囲は極端に狭い。針先でつついた程度だ」ということを(すぐに忘れてしまうが)なるべく思い出して、「こんな極狭の範囲しか見えていない状態で判断を下すなんて、正気の沙汰ではない」と気づくこと。

すべてを見通していて、なんでも知っている聖霊にゆだねること。

 

困ったときは聖霊にお願いしているけれど、よく考えれば、初めから聖霊にお任せすれば「いったん困ってみる」というフェーズを経由する必要はないんだよね。

初めから聖霊にお任せできるようになろう。 

今日も一日、聖霊頼み。

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巡礼の道を歩くように生きる/約束の地・サマルカンドに立つとき

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。

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By Gilad Rom - Photo taken by Gilad Rom, CC 表示 2.5, Link

 
いつか歩きたい道、サンティアゴ・デ・コンポ・ステラ。
一昨年のこの季節、こんなブログ記事を書いていた。

巡礼として生きていい  2015年11月11日

 

カミーノを踏破したばかりの のりま*えるまさんのこの記事を読んで、ずっと巡礼として生きてもいいんだ、となんだかすごくホッとした。

巡礼の道が終わっても日々歩いているかのように、聖地を目指しているかのように、その瞬間瞬間を深く感じながら生きていけるんだと思ったら、なんだかすごく嬉しくなった。

巡礼…今のところ未体験。四国どころか、近所の七福神さえお参りしていない。だけど、絶対いつか何度も巡ってたはず。

そして自分だけでなく、黙々と一方向に流れていく人々も、交差して混ざり合う人々も、半ば駆けるように追い抜いていく人も、それぞれが聖地を目指していると思うと、通勤風景さえ色づいてくる。

それは私の幻想かもしれないけれど、私の幻想だからこそ、好きな彩りでこの世界を見てみようと思う。

巡礼として生きていい|光の声が天(そら)高く ~世界共有幻想を超えて

  

 そして夏にはこんな記事も。

サンチアゴ・デ・コンポステーラ  2015年08月13日

鶴岡真弓さんの『ケルト/装飾的思考』を読んでいて、先のページをパラパラっとめくったら飛び込んできた言葉。

サンチアゴ・デ・コンポステラ(星の野の聖ヤコブの地)

フランスからスペイン北西端へ続く巡礼路の終着地。

この地名を思い出せなくて、だけどスペインだというのは覚えていた。少し前から気になっていて、このブログのプロフィールの「今、旅行に行きたいところは?」という項目にもアンテロープキャニオン、ギリシャに次いで挙げた。

初めて知ったのはずいぶん昔に読んだ『星の巡礼』という本。

この巡礼の旅は相当 過酷らしい。だけど過酷さゆえに憧れた。いつか行くことがあるのか。。それとも昔、歩いたのかもしれない。

サンチアゴ・デ・コンポステーラ|光の声が天(そら)高く ~世界共有幻想を超えて

 今ももちろん行ってみたい、歩いてみたい道。

 

だけど、ここよりももっと行きたいところができてしまった。
シルクロードの古都・サマルカンドウズベキスタン)。

私を魅了してやまないイスラム文様とブルー、そして浮彫。
シルクロード、西域も子どもの頃から大好きだった。

もっと早く気づいてもよさそうなものなのに。
なぜなら、こんな記事をブログにあげているから。

昔から好きなものの共通点に気がついた  2015年05月09日

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『図説 世界建築史6 イスラム建築』よりジャーミ・マスジド(マスジド礼拝堂)

 

最初はレリーフ(浮き彫り)でした。美術の教科書か、世界史のギリシャ文明あたりで見たのだと思います。

「ああ、こういうの 好きだなぁ」と思ったのですよね。

 

次は編み物のアラン模様。

↓こういう感じ。もっと複雑なのが好き。

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カリグラフィーもやってみたことがあります。アルファベットよりも罫線模様が好きでした。

昔の聖書の飾り文字と飾り罫も。

 

タティングレースも見た瞬間に一目惚れ。大晦日だというのに手芸店へ行きました。

↓これ

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 sumieさん著『はじめてのタティングレース』より

 

アイアン製のつる草デザインもいい!

↓こういう感じ

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幾何学模様も大好き。

共通点、お分かりでしょうか。。

石灰石や大理石のような白い素材だと なおさら「萌え~‼︎」です。

 

これまでは「ただ こういう感じのものが好きなんだな」と思っていたのですが…。

この前、建築物の写真集を見ていて気がつきました。

特定の時期のイスラム建築物が特に好き。

↓こういう感じ。

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画像は飯島英夫さんの『トルコ・イスラム建築紀行』よりチフテ・ミナーレのタチカプの装飾

 

おそらく…というか きっと 間違いなく、中庭があるメドレセ(寄宿制の神学校。この言葉も今日知った)に深い縁があったようです。

そして、この記事を書くためにネットでいろいろ調べていたら、同じくらい好きなものが…。

ケルトの文様です。これもやっぱり似てます。

ケルト系は音楽も好きなのですよね、そう言えば。

昔から好きだなぁというものがあれば 共通点を探し出してみると面白いかも…です。

ameblo.jp

 

友人が旅先からFacebookに投稿した画像を見て、思った。
ここに行く。
この、青い文様の町に行く。
ウルグ・ベク天文台跡が特に気になる。ウルグ・ベク・メドレセも。

 

とりあえず、明日も、あわてないで丁寧に生きよう。
巡礼の道を歩いているように。

しっかり目を開いて、しっかり耳をすませて、しっかり空気を感じ取って。
一歩ずつ、着実に進もう。

するべき目の前のことを、しよう。
心を込めて。
心を尽くして。

これ以上はないくらいに。
丁寧に生きよう。

そうして生きていく先に、きっとサマルカンドがある。
サンティアゴがある。
アンテロープ・キャニオンがあり、モロッコの青い町がある。

けれどその地は、きっと旅の通過点。
直線ではない時間の中では、すでに立っている約束の地。

その意味では、天国でさえも、すでに今いるところ。
おわりもはじまりもない、そして円環ですらない、時間を超えたところ。

 

ああ、聖霊よ。私を導いてくださってありがとう。
自分の声が静まって、勝手に溢れる言葉を書き(打ち?)留める、この幸せなひとときをありがとう。

今日も一日、聖霊頼み。

 

 

絶対的なものなんてあるのだろうか/初めて犯罪者の立場で/世界はやわらかくとけて境目がわからない

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。
 

犯罪者、と呼ばれるひとのことを思う。

これまでは、どこか他人事で、自分には関係のないひと というふうにとらえていたように思う。
だけど今日、盗撮で捕まったひとのことをテレビで観て思った。
 
その衝動が本人にコントロールできるものなのかどうか。
 
私は決して犯罪を助長しようとしているわけではないし、盗撮を肯定しているわけでも、被害に遭ったかたの気持ちを蔑ろにしようというのでもない。
けれども、これまでのように他人事ととらえることもできなければ、被害者の立場で事件をとらえることもできなかった。
 
たぶん生まれて初めて、今の日本の法律では犯罪とされていることを、してしまったひとの立場に立っていた。
 
 
たまたま、本当にたまたま、措置入院という事態には陥らなかったし、警察沙汰も起こさなかったし、ひとに迷惑をかけないギリギリのところでなんとか症状が治まって治療を受けることができた、今年の夏のことを考える。
 
場合によったら、何かがちょっとだけ違えば、私は何かをやらかして、名前と顔が報道されたかもしれない、と思う。
 
犯罪と犯罪でないことの境目はなんだろう。
 
やりたいことが適切な範囲内なら「正常で普通なこと」と とらえられて、ある一定の程度を超えると犯罪になる、ような気がした。
 
例えば、今年の夏、私は頻繁に出かけ、とてもたくさんのひとと会った。
以前の自分と比べると異常なほど。
それは犯罪にはならなかった。かろうじて、かもしれないけれど。
でも、それはいつでも犯罪に変わる火種を内に持っていた気がする。
 
例えば、時間や相手の都合を考えずに相手の家に押しかけて居座り続けるとか、監禁的な何かに転がってしまうとか、そういうことは十分ありえた。症状がエスカレートすれば。
しかも犯罪的なことをしているなんて これっぽっちも思わずに。
 
自覚できない衝動。
そして、自分のやったことをすぐに忘れてしまう。
そんな夏を過ごした。そして今はもう11月だ。
 
絶対的なものなんてあるのだろうか。
絶対的な罪とか、絶対的な善とか。
 
今、自分の中であらゆることが曖昧になり、輪郭がぼやけている。
世界はやわらかくとけて、何かと何かの境目をなくする。
 
こんな心許ない状態でも、なんとか生きていけるし、仕事もなんとかやれていることが、ある意味 奇跡かもしれない。
 
本当にもう聖霊にお任せするしか ない。
こんな私だけどよろしくお願いします、と。
 
「大丈夫、安心して」と暖かく包んでくれる感覚が瞬間的に返ってくる。
不思議。いや、不思議でもなんでもない。
聖霊と内的な対話を続けて もう ずいぶん経つのに、聖霊からの返事にまだ驚いたりする。
普通に淡々と受け止めている時もある。感動している時もある。
 
なんにしろ、今日も一日 聖霊頼み。
 
 

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音と仲良くなっている/点描画と舞、クリスタルボウル…こんなに大好きなものばかりのイベントなんてあるんだ!

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。


ここのところ音楽といっそう仲良しになっている。

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ごちゃまぜの家で出会ったトミタナオさんにお誘いいただいた『〜つながる心♡ひろがる魂 むげんの光〜in實相寺』。大変すばらしいイベントだった。

~つながる心♡ ひろがる魂 むげんの光~ in 實相寺 | Facebook リンクがうまく貼れてないかも?

 

清水和惠さんの点描画即興ライブペインティング、トミタナオさん+素敵女子2名の即興舞踏、牧野持侑さんのクリスタルボウル演奏。

 

清水和惠さんHP 天球点描画【宇宙観】 - プロフィール

トミタナオさんTwitter トミタナオ*ナーオnao*即興being (@advaitanime) | Twitter

牧野持侑さんHP アルケミー・クリスタルボウル奏者 牧野持侑(まきのじゅん)Official Web Site


大好きなものばかりで構成されていた。

点描画、好き。モザイク画やタイルで描かれたイスラム文様など大好物。
清水先生は天からインスピレーションをいただいて、やってきたものを紙に表現なさっているとのこと。
ライブ ペインテイングでは参加者から募ったテーマに沿って、絵だけでなくメッセージも一緒に伝えてくださった。

 

即興舞踏、自分でもやってる。

リズムやメロディーに乗って、身体が自然に動いていく。ナオさんの誘導で、参加者も身体を動かしていき、ダンスにも参加。広いところで くるくる回るの、気持ちいい。一緒に動けて、参加型のイベントって本当に楽しい。

 

そして、あんなにたくさんのクリスタルボウルで演奏しているのを初めて見た(演奏会で演奏しているところを拝見したのは まだ3人目だけど)。響きがとても心地よく、畳に横になって倍音を浴びてリラックスした。その上、マレット(ばち)も演奏方法もいろいろ見せていただき、歌との合わせ方なども拝聴。クリスタルボウルを奏で始めたばかりの者として、間近で見て聴くことができて大変大変 勉強になった。

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書き忘れてたけれど、この会場となった實相寺がとても素敵なところ。クリスタルボウルの演奏の時には、ホーミーやパーカッションの彩りが添えられて、ますます素敵な空間に。

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おひさまの光まぶしい昼間もよかったし、すっかり暮れた帰り際、振り返ると暖かな橙色の明かりがこれまた美しかった。
門を出てみたらほぼ満月の月明かり。ああ、生きていて良かったな、なんて思ったりして。

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ちゃっかり打ち上げにも参加させていただいて、さらには個別の二次会で作曲家の先生とご一緒させていただき、音楽に関する興味深い話をうかがった上にご馳走にまでなって、そして なんとなんと、来年あたりに始動するバンドのボーカルにと お声までかけていただいた! 嬉しすぎる!!!

 

そして今日(あ、0時まわっちゃったから昨日だ)倍音トーニングのクラス……のことは次回にします。

 

 

 

一期一会そして消えゆくもの/なぜ涙が出るのだろう。私たち自身が消えゆくものだからだろうか

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。


最近、心の琴線にふれること。
一期一会

そして

消えゆくもの

 

同僚が言っていた。
「このメンバーで仕事ができるのはこの1年間だけだから」
言われてみれば確かにそうで。これまで ン十年働いてきて、前年度とまったく同じメンバーだったことは一度もなかった。
うちの職場では3年間で異動するのが通例。だから単純計算でもメンバーの3分の1が毎年3月末に出て行き、翌日 新しい人がやってくる。
そしてそれは対内的なことだけでなく、昨年までは部署としてのお付き合いが何十年もあったお客様でも、状況が変わられて 今年度からは いらっしゃらなくなったり、かと思えば急に新規のお客様をお迎えすることになったり。

一見、ずっと同じことを繰り返しているように見えるけれど、よくよく目を凝らしてみれば、まさに一期一会。

 

糸かけ曼荼羅を教えてくださった吉野ちほ先生もFacebookで投稿していた、ユーミンの『青い船で』の歌詞。

月をよぎる雲の色も
波のしぶきさえも
二度と同じ姿はない
永遠の万華鏡

 

youtu.be

 

 

先日、渡辺建夫さんの『キリムへの旅 トルコへの旅』を読み終えた。

たくさん響いたところがあったのだけど、その中でも次の文章に心を撃ち抜かれた。

同じ織り手であっても、同じ表情、同じ印象のキリムをもう一枚織るということはできません。

そして、消えてゆくものに対する惜しむ気持ちにも、敏感になっている。
同じく『キリムへの旅 トルコへの旅』の「消えゆくキリム」という章の最後にこんな文章があった。

 キリムに関して、私は宿命論者です。キリムは消えていくべくして、消えていきます。それは仕方のないことです。トルコから遊牧民が、遊牧民の生活自体が、消えてゆくのですから。昔ながらのキリムと、遊牧民の生活とは表裏一体です。別べつに切り離すことはできません。

そして、続く章「姿を消していく遊牧民たち」で、政府によって定住化を強制されてきた近代の遊牧民の歴史を語っていく。

 

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星野道夫さんの『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』にも、朽ちてゆくトーテムポールを朽ちるままにしたい というくだりが出てくる。

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消えていくべくして、消えていくもの。

それをそのままに受け入れているひとの告白が、なぜこんなにも心を揺さぶるのか。

消えるものは消えるし、続くものは続くけれど、続くものにしても ずっと同じであるということはない。

何かしら変えながら あるいは自然に変わりながら、続くものは続き、そしていつかは無くなる。

いつかは無くなる。

いつかは無くなるけれど、まだ それがかろうじて残っていて、今それを惜しむ。

 

惜しむ。
慈しむ。
愛おしむ。

 

私たち自身がそういう存在。

だからなのか。
だから涙が出るのか。

悲しいのか。
嬉しいのか。
なんの涙なのか わからないが、このことを思うだけでなぜか涙が出てしまう。

 

本当には、私たちは無くならないのだけれど。


「もう生まれ変わらない。今回の人生でこの世界はおしまいにする」と決めてきたので、それで最後を惜しんでいるのかもしれない。
感慨深くて泣けるのかもしれない。

ああ、素晴らしかったなぁ、この世界って。
ひどいこともたくさんあったけれど、終わり良ければすべて良しだよね、って。
本当に、最後の最後に心残りのないように、体があるからできることをたくさん味わって、それで出てくる感情もしっかり味わって、それでおしまいにしよう、って。

 

何を言っているのだか、という頭の声は置いておいて。


わからないことはたくさんある。
きっと死ぬまでこれが本当なのかどうかはわからない。
だけど いい。それで いい。
ただ、自分が生きていくのに楽なように考えればいいだけだから。
そして、思いの力ですべてが作り出されていくから、私がそう思えば私の世界はそうなる。

 

ってことで。今日もいちにち聖霊頼み♪ 

自然体になったのは いろんな学びがあったおかげ/そもそも怯えていなければ 楽であることに気づけなかった

ACIM(コース)を生きるインプロシンガー&ダンサーのKです。

 

ここのところ、友達と数年ぶりに会うという、すてきな約束を、立て続けに果たしている。
先日書いた福岡でのACIM学習会しかり、金曜日も2人と別々に。そして日曜日も。
こんなに続くと偶然などではないと、遅ればせながらも気づく。
「偶然などというものは”はな"からないのだ」とわかってはいるけれど。

 

金曜日に最後に会ったのは和歌山在住の綺麗女子で、この週末開かれるセミナーに参加するために東京に来たのだそう。

私のことを思い出してくれて、連絡をくれて、初めは2人で会うつもりだったのだけれど、結局セミナー参加者の懇親会にお邪魔することになった。
「男女十数人の中で知っているのは1人だけ」の居酒屋での飲み会。

私以外は、その日1日一緒に研鑽した仲間たち。しかも自分は酒も飲めない。

なかなか会えない友人と久々に会えるとは言っても、以前なら100%行っていない。そもそもが「21時から」なんて論外だった、以前なら。

 

その席で初対面の人に言われたこと。
「Kちゃんて、こんな席に急に来たのに、自然体だよね。ふつうだったら、ちょっと身の置き所がないというか、どうしたらいいんだろう?みたいに振る舞う人が多いと思うんだけど」
なるほど、確かに。超 自然体だった。
余計なことは なーんにも考えていない、という感じか。
「そうですね、自然ですね。でも以前はどうしたらいいんだろう?みたいになってましたよ」
「ということは何か変化するようなきっかけがあったんですか?」
聞かれてうーん。。。と考えてみた。

 

なんだろう?
そもそも いつからだろう?
最近、記憶がすぐに飛んでしまうからなぁ。。。

 

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何か大きな事件があって、突然 変わったわけではないと思う。


いろんなことがあって、
たくさんの出会いがあって、
いろんな気づきや学びがあって、
そして徐々に鎧が剥がれてきて、
心の壁も薄くなってきて、
気づいたら いつしか それらが消えていた。
他人の視線や思惑などというものを、必要以上に意識しなくなっていた。

 

そして、今。
楽、だ。
超絶、らくちんだ。

 

いろんな気づきや学びについては、気が向けばここでお伝えしていくかもしれない。
もしかして、周囲に怯えている人が、怯えずにいられるかもしれないなら。
かつての自分がそうだったように、怯えている人がいるのなら。

 

今、急に思った。
そもそも怯えていなければ、この「楽になった感じ」もよくわからなかったかもしれない。
この世のことはすべて比較することで認識できるから、楽じゃなかった時があってこその今の楽な感じなのだ、と。


怯えの直接のきっかけは、中二の時のいじめだったけれど、それは直接なもので、その実、人類全体としての怯え、もっと言えば、生物としての怯えのようなものもあったのかもしれないと思う。
自分で言っていてこのあたりよくわからないけれど、なんか出てきたので記録しておこう。

 

そして、怖かった記憶は震えることで解放できる。
人為的に震えを作ることでも、怖かったことを手放せる。
だから、怖かったことや嫌だったことがあると、(ある種のストレッチなどをして)わざと震えを起こして、後に残らないようにしている。
数年前に屋久島でそれを学んだ。
Trauma release exercise(トラウマ・リリース・エクササイズ)の頭文字をとってTREと言っていた。思い出さずにトラウマを手放せるので、記憶から抹消してしまうくらいの辛いことがあった人におすすめ。(今は屋久島でなく、別のところでやっているみたいだったけど。詳しくは検索してください。)

 

全体像を把握できないちっちゃい自分よりも、全部をお見通しの聖霊に任せときましょ。

ってことで。今日もいちにち聖霊頼み♪