K go to NEXT:いばやスタイル実践記

ibaya《いばや》坂爪圭吾さんリスペクトブログです

それは決して偶然なんかではなく/お買い物イベント/山手線を徒歩で一周/これをやりに地球(ここ)に来たんだ

いばや界隈では現在「まずは自分を救え!70万時間TV」という企画が行われている。
土日に関わったイベントもその一環。

 

8月19日土曜日は五反田TOCビルでお買い物イベントだった。
現在活動中のTPD48(鉄砲玉フォーティーエイト)7玉が奇しくも全員集合するという超絶レアな事態に相成り、大いに盛り上がった。この辺りの投稿を見ていただけるとその弾けっぷりがよくわかると思う非常におもしろい体験だった。

 

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翌20日日曜は「モバイル神社・山手線を徒歩で一周」という企画に、まずは旅の無事祈願する旅立ちの儀として、東京駅の丸の内側の広場で、クリスタルボウルの演奏をした。

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そして、神っつと使徒が神田へ向けて歩き始め、自分はクリスタルボウルを東京駅のコインロッカーに預けて、神っつたちを追いかけた。

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結局、池袋まで歩き、そこからはギタレレを探しに、鉄砲玉の ひろきくん と りゅうくんの3人で御茶ノ水の楽器屋をまわり。。

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☆ ☆ ☆


昨日は、伝説となりつつある「iphonを探して」の依頼主さんとiphonの持ち主のSくんにリアルで会えた!!そして本気で美味しいお寿司をご馳走になった。

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実は今朝、不思議なことがあった。

この「iphonを探して」企画の時、実は二つ失くしたものがあった。
一つは家の鍵。
もう一つがピアスの片方。ピンクカルセドニーという淡い桃色の石でできてる子。
手作りの一点もので、かなり気に入っていたのだけれど、山中湖畔から富士川までの間の車中で気づいた時には片耳だけになってた。カバンの中とか落ちていないか探したけどなくて。25秒間くらい落ち込んだけど、もしかして宿に置き忘れたのかもしれないから、帰宅後に電話で聞いてみようと思った。
そして、先週、鍵とピアスの忘れ物がなかったか電話してみたけれど、ないとのことだった。

ところが、今朝。持ち歩いているピアスのケースを開けたら、なんと!

 

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え? だって、なかったよね? 空っぽにしたよね、旅から帰ってきた時。
不思議。水星の逆行期間だからかな。でも帰ってきてくれて嬉しい。
鍵もそのうち帰ってきてくれないかな。鍵につけてたトンボ玉(沖縄・水納島でダイビングショップ兼 雑貨屋さんをやっている masaeさんの手作り)が大好きだったから。


☆ ☆ ☆


ここまで書いて寝落ち。そして昨日(8月22日)、いろんな偶然が重なって夕方から予定がぽっかり空いたので、昼休みくらいに申し込みをして、急遽こちらのイベントに参加した。実はどんな集まりなのかもよくわかっていなかった。けど、あいぼんと ひろきくんが参加するので行ってみようと思ったのだ。

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初めましての玲ちゃんはとてもキュートなひとだった。
集まったみなさんもとてもステキで。ドタ参加のせいでお食事プレートなしだった私のために、みなさんがご自身のプレートから少しずつ取り分けてくださって、私のところにお皿が来た時には、おかず全種類とご飯がちょうど良い分量で盛られていて。大変美味しくいただきました! みなさま、ありがとう!!!

 

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この時、たまたまクリスタルボウルを持っていた(日曜日から東京駅のコインロッカーに預けっぱなしだったのを、ようやくピックアップできたから)。それを知った玲ちゃんがすかさずオファーしてくれて。あいぼんとひろきくん以外は初めましてのかたがたの前で、クリスタルボウルの演奏を披露させていただいた。


クリスタルボウルは場の調整に便利でとても役に立つ。
少し響かせるだけで、バズモードだった場が あっという間に落ち着いた空間になり、一人ひとりが自分の中のリズムや静けさに心を向けていく。

そうして始まった歌と舞とリズムと物語は、集った一人ひとりを巻き込んで、大きな波になって私達と一体化した。その波に揺られて、一緒になって手拍子を叩き、床でリズムを取り、声をあふれるままに流していく。

 

その躍動感と「ああ!生きている!!」という感じは、何にも代えがたい。
音とリズムと自分とが溶け合って境目がなくて、あまりにも幸せで。

 

ああ、これをやりに来たんだ。


ずっと前、ここにいる このみんなで、火を囲みながら、同じように歌い、舞い、祈った日があったよ。気が遠くなるほど昔の話か、あるいは未来なのか。それともどこか違う星かも?
ただ、初めてじゃないことが自分にはわかった。
私たちはずっとずっと仲間だった。そしてこれからも。
たとえ身体は遠くに離れていても、心はいつも寄り添っている ということも。

 

ありがとう。
また出会ってくれてありがとう。
次の場所でもまた会おうね。

また一緒に歌おうね。踊ろうね。

 
 
 
 

 

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 リンクあとで貼ります。リンクの検証もあとで。

覚えていないくらい はるか昔からこの瞬間を待っていた 〜〜『君の名は。』

どハマりすることがこわくて、近づけない・近づかないようにしているものが、あなたには ないだろうか。

もっと感受性の鋭い頃(思春期とか?)に出会っていたら、影響受けまくっていただろうな…というようなもの——自分でいうなら例えば『攻殻機動隊』や『図書館戦争』。『エヴァ』だって、大人になってから観たからいいようなものの、中学生の頃に観ていたら絶対どハマりしているはず。

自分を否応なく変化させるものは、触れる前にあらかじめわかってしまうことがある。だから、変化がこわくて、それに触れないようにする・逃避する ということをしばしば無意識にやってしまう。

謎の号泣を体験することがけっこうある。
直接の理由・原因がわからないまま、滂沱の涙を流し続けるという、ときおり自分に起こる現象である。
誰かの話を聞いている時。何かが急に迫ってきて、胸が熱くなる。
あるいは。
ある曲を聴いていたら、あるいは歌っていたら、急に涙が溢れて止まらない、というように。

例えば
『COSMOS』ミマス
『愛は花、君はその種』映画『思ひ出ぽろぽろ』のエンディング(原曲『The Rose』)
『YELL』いきものがかり

  参考記事 『愛は花、君はその種子』
        ブログの長い名前について その1
        自己紹介その4 〜 目覚めと変容


その、もっと規模の大きなものをつい最近、体験した。
アニメーション映画『君の名は。』である。

そもそもは、これもやはり音楽だった。
BGM的に流していることもある MUSIC ON!TV(エムオン!)や SPACE SHOWER TV(スペースシャワーTV)で流れていたRADWIMPSの『前前前世』がとても印象に残った。調べてみたら『君の名は。』の劇中歌だった。

君の名は。』は公開前から気になっていた。新海監督の前作『言の葉の庭』も とても琴線に触れていた。にもかかわらず、どういうわけか、『言の葉の庭』も『君の名は。』も観ていなかった。
 
 【過去記事】同じ言葉を使っていても、その意味するところは まーーーったく違うとわかった。そして君の名は。

君の名は。』は観ていない。だけど観たら超絶ハマるのはわかってたけど、なぜか映画には行かなかった。

でもそうであるのには、きっと意味がある。
これから観るべきタイミングがやって来るから。
あとから「あ~~~~! そうだったんだね~!!!!だから、このタイミングなんだね~!!!!!!」って感じで、わかる時が来る。
その時が来るのを知ってる。
その時が今から とてもとても楽しみ。


なんて書いているのだが。
実はこのあとすぐにその運命の時はやってきた。

君の名は。』のDVDを無事渡せた翌日(7月27日・木)の夜中。
ネット検索していて『君の名は。』をまだ上映している映画館があることがわかった。場所は池袋ROSA! なぜ驚きなのかというと、その日、池袋にある友人の店に行ったから。しかも、その翌日7月28日・金で上映期間が終了だった!!!

こ、これは!!!!行けって言ってる、神様が。間違いない!!
ということで、翌日仕事を急遽休んで、午前の回を観てきた。

 

ええ。
そうです。
ダダ泣きです。号泣も号泣です。
これ以上はないくらいに泣きました。あんなに泣いたの、初めてかも。


それも、ストーリー的にまだ全然泣くところではないのに、もう胸がいっぱいになってしまうのですよ。
明らかにおかしい。つまり、ストーリーで泣いているわけではない。
では何がそんなに泣かせるのか。なぜ、そんなに泣けるのか。

 

一言で言うなら
「やっと、やっと、たどり着いた!!!!ここまで来られた!!!!!!」という胸に迫る思い。
「自分が覚えていないくらい はるか昔からこの瞬間を待っていた」ということがわかる感覚、とでも言えばいいのか。


圧倒的な安堵感。本当に良かった、たどりついて良かった、という。
どんなに長い間、この日を待っていただろう。どんな辛さを乗り越えてここまで来たんだろう。。。
それは、きっと魂に刻印された、遥かな記憶。「ここに来る」と決めた昔々の自分との約束をようやく果たせたみたいな。

それを、
よりによって、
君の名は。』で果たす。
なんて粋なことをするんだ、神様って。

 

一緒に観に行ってくれたひとに「ガチで『君の名は。』をやってるんだってば」と言ってみたけど、特に何も思い出せていないみたいだった。
ま、そういうこともあるよね。
自分たちはきっと何度もこういうことを繰り返してる。
今回は自分が先に思い出すtermなのかもしれないし、あるいは。
あるいは……。

 

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ごちゃまぜの家のシェアハウスメンバーになる!

新潟へ向かうという徹くんに、船橋在住の女子とともに車で自宅まで送ってもらった。徹くんは後部座席がフルフラットになる車を持っている。

それだけでなく、徹くんは素晴らしい声の持ち主でもあり、車の中では主に森山直太朗さんの歌を歌いあげてくれた。しばし車中はコンサート会場と化し、女子二人は歌声に酔いしれ、「さくら(独唱)」くらいしか知らなかった自分は「森山直太朗さん、すごーい!」となり、「この車があれば、地続きのところなら どこまででも行けるんじゃない?最高!!」と思った。

そして徹くんは今、佐渡ヶ島を何も持たずに一周するという企画を実行中である。

 

 

10日には、個人的にかなり高いハードルを越えた感のある出来事があった。が、今はまだブログに書く感じではない(というか、ただ単に勇気がない)。いつか書ける日がくるだろうか。。。

どんな出来事であろうとも さらっと軽く書けるようになりたい。

最近は新しいチャレンジや新しい出会いが多すぎて、それらを直接に比較することが困難というか、それらの体験についてはそもそも比較に馴染まないものであるようで、それぞれがどれほどの高さのハードルなのか、自分でもよくわからなくなっている。らしい。

 

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11日(山の日)には、菊名で不動産会社の酒井さんとお会いした。

ごちゃまぜの家には、今みなさんに解放されている1階の他に2階と別棟があって、現在、ごちゃまぜの家を一緒に作っていくシェアアウスメンバーを募集している。

かねてから 「ごちゃまぜの家を一緒に作り上げていきたい」と思っていた。そこでどんな出会いがあり、どんな面白いこと(あるいは どんな しょうもないこと)が起こるのか起こらないのかをつぶさに見守りたいと熱望している。

それに、自宅でもなく職場でもないthird place、 静かに自分をメンテナンスできる場所を確保したいとも思っていた。

誰の目も気にすることなく思い切り涙を流し、傷を癒し、明日への活力が再び湧いてくるのを待つことのできる、秘密の場所

そしてそして、特にこれが自分の中では大きいのだけれど、鉄砲玉のかたがたと親しく接していくうちに、こんな気持ちが湧いてきたのだ。

毎日毎瞬、全力で死にに行くことを選び続けて活動している鉄砲玉たちが、ふと一人になりたくなったとき(でもホテルやネットカフェではなくて、実家にいるような安心感を感じつつも一人でいたい、自分に向き合いたいと思ったとき)に使えるパーソナルスペースがあったらいいな、と。

毎日を全力で駆け抜け、死にに行き そして生き切っていく生活は、それはもう何にも代えがたい素晴らしい出会いと経験をもたらしてくれる。

が、その一方でそのような暮らしは、ときに心が折れたり傷ついたりするような、あるいは心が削られ 枯れてしまうようなリスクを、もちろん含んでいる。生きているのか死んでいるのかわからないような暮らしをしている時でさえ、そういうことはあって、命の限りを尽くして輝く彼らにとっては、そのように真剣に生きているからこそ、そうしたことが深く彼らを傷つけることもあるのではないかと、感じている(もちろん、そういうことさえも、味わい深い人生の一場面ではあるのだけれども)

そんな中で、彼らが誰の目も気にすることなく思い切り涙を流し、傷を癒し、明日への活力が再び湧いてくるのを待つことのできる、秘密の場所があってもいいのではないか。傷ついた動物がそっと横たわり回復を待つ、誰にも見つからない秘密の洞窟のような。

 

これらが相まって、シェアハウスメンバーとなることを決め、昨日 申込書をファクシミリ送信した。契約期間の開始日は9月1日。

 

石井ゆかりさんという星占いをするかたがいる。占いだとかそういうものは、ずいぶん前に超越すると決め、実際 超越した暮らしをしているのだけれど、彼女の書く文章がわりと好き。要は星占いなのだけれど、読んだ後に広がりや希望を感じるような書きぶりが心地よくて。

普段はネット上でお世話になっているのだけれど、2015年から2017年を1星座1冊のボリュームで占った書籍『3年の星占い』が手元にある。

その中に 購入時には「そんなことあるかなぁ?」と思っていた記述がある。

この時期に「家を建てる」「不動産を購入する」人も少なくありません。これは、自分だけではなく大切な人々が住まう「城」「国」をつくるようなプロセスです。あなたはいわばその城や国の王様として、領民を守っていくような役割を担うことになるわけです。

この時期に得た居場所は一時的なものではなく、この先長いあいだ、あなたの世界の土台となるでしょう。

 『3年の星占い 乙女座』より引用

 初めて読んだ時「もう自宅も購入済みだし、こんなことは きっとないな」と思った記憶がある。

思いもよらないことは起こるものだ。

ごちゃまぜの家のシェアハウスメンバーとなり、一緒にごちゃまぜの家を面白くしていくことが、石井さんの言うように「この先長いあいだ、自分の世界の土台になる」のだとしたら、こんなに嬉しいことはないと思う。

 

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カタカムナかるた/見舞いにきてくだ祭(さい)/徹くんとの出会い

リアルでの動きが濃すぎて、相変わらずブログが追い付いていない。

先週も引き続き濃い一週間だった。

 

89日(水)の午後、石川町の ひだまりのおうち に出かけた。

久々に節紀さんとお会いし、今の状況を少しお話しし、お願いしていたものを受け取る。

おねがいしていたものは こちら↓ 

 

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昭子さんが作ったカタカムナのかるた。

この陽だまりのおうちで「カタカムナひとつめ」から「みっつめ」までを受講したのは2015年の5月頃だったか。

ちょうど、ようやく欝から抜け出せて、そろりそろりと動き始めた頃。

 

 参考*旧ブログ記事 ↓ 1行目で、すでに「やばい」と言ってます(笑)

 

同上 マワリテ メグル|光の声が天(そら)高く ~世界共有幻想を超えて

 

2015年はジェットコースターに乗っているような毎日で、シンクロの嵐に奇跡の雨が降り注ぎ、自分の中が日々どころか刻一刻と更新されていた。

「自分のハートの叫び」に従って生きると、かくも風景が色鮮やかに迫ってくるものなのかと、目を瞠った覚えがある。

 

その2015年と似ているな、と思っていた今年2017年。

 

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「久々だからゆっくり節紀さんとお話ししよう」と思っていたところへ急に飛び込んできた知らせ。

「交通事故で全治一週間のわたしを見舞いにきてくだ祭(さい)」

仕事中トイレで ちらっと見たフェイスブックに確かに載っていたのに、ようやく仕事を終えて 慌てて探すも うまくヒットしない!

仕方ないので(?)圭吾さんにLINEを送る。

 

 参考記事 「変わらないために、変わり続けよう」

       

自転車に乗っているときにコケて、30メートル近くぶっ飛んだらしい。。。

よくぞ無事でいてくれた! 車来てたら、本気でヤバかったはず。

頭意識と右腕は無傷とのことで、だからこそSNSでの発信もできるわけなのだけれど、右側を護るために左半身から落下し道路に激突、全身の痛みが徐々に出てきて、歩くのもままならないとのこと。

 

余談だが、そんな状態なのに「菊名に伺います!」と送信すると、金曜日にも行く予定の自分を気遣って「大丈夫ですよ!」とか言っちゃうひとなのだ、圭吾さんという人は。どうすりゃいいんだ?? やっぱ、自分の感じるまま思うままにするしかないな。

というか、人間が健やかに生きるには、感じるままに生きるしかないのだ。

 

自分一人では多分いろいろ無理だと考えて(翌日は仕事もいかなきゃ、だし)、遠方にいる鉄砲玉を除き、自分が知っている限りの圭吾さん関係の人びとに連絡した。

とりあえず翌日は何人か強力な人材を確保できたので一安心。

 

やっぱり時代はscrambleだな。やっぱ、人類みなスクランブルだな!

最近、人に頼れるようになった。苦手なことはすぐ頼る。ちょっとでも「自分でするのはイヤかも」と思ったら頼る。自分で無理な努力をする時間が0に近い状態。

例えば衣食住で言えば、自分の場合「食」系。洗い物は比較的すきなので、誰かが作ってくれている傍らで使用後の調理器具などを手早く洗うのはむしろウェルカムで。

そしたら、料理作るのは得意だけど洗い物が苦手という人が意外にいたりして

「わお! 得意と不得意を複数人でscrambleすれば、何でもできちゃうじゃん!」という気分になる。

 

 

 おなか減ったと言う(けれど、何系が欲しいのかエネルギーが低くて考えられない)圭吾さん用に、カットフルーツや駅の売店で売っていた「シュウマイ弁当」(さすが横浜だ!)菊名に着いてから買い足した揚げ物やらを抱えて菊名に着く。

一人ぼっちなのかと思いきや、圭吾さんのほかに もう一人、男子がいた。徹くんだった。

徹くんとは初めましてだったが、自分のほうは「圭吾さん生誕祭ムービー」やチームゼロのそのほかの動画やらで徹くんのことをよく見ていた。

何ごはんなのか不明な時間帯(午後4時過ぎ)に蕎麦を美味しそうにすする徹くん。その隣で圭吾さんも食べる的な流れになり、シュウマイ弁当が役に立った模様。弁当じゃない単品のシュウマイも、徹くんのつまみとなり…。

よく考えると、圭吾さんの日常生活上の好みとかって、全然知らないんだわ、ブログに書いてあること以外(揚げ物食べられない?とかその時に知ったし。フルーツは好物だとか)。ま、別にどうでもいいけど、その都度わかれば。

 

 

徹くんは映像をつくることをずっとやっているのだけれど、カメラを新しくしたことで、愛用のMacBookが相対的に古くなり、動作がモッサリになってきたとのこと。

いいお道具を使って思いっきりやって欲しいんだよな。お道具がイマイチなことに 囚われてほしくないんだよ。

 

 

 

 

うう、書きたいことまだまだあるのに、文字数ばかりが増え、眠くなってきて、自然と自分のミスタッチも増え…

もういいや、続くにしちゃえ!

 

 

 

 

癒しとはなにか/私たちは本当の意味では死なない、死ねない。これが真実だと心から納得すると世界はheavenになる。

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自然な流れで「ヒーラー」と名乗ろうとする瀬戸際に立っている。
今。

ヒーラーとは何か。
癒す・癒される とはどういうことか。

なんども何度も問いかける。

「癒しは起こるもので、起こすものではない」と聞いたことがある。
それは、確かにそうだと思う。

自分はヒーラー(healer・癒し手)というよりもプレイヤー(prayer・祈り手)だ。

自分が癒しを起こせるわけではない。そんなことは とっくのとうに わかっている。
できることといえば、ただただ祈ることくらいだ。

そして、祈ることで癒しが起こるならば、それは神(天)の御心のまま、ということなのだろう。もしも癒しが起こったのならば、それは自分の祈りが起こしたのではない。
癒しを起こす━━そんなことはできない。それは、自分だけでなく、この世界の誰にも。


どんなに祈ったって、全身全霊を込めて懇願したって、結局すべては神(天)の思うがままなのだ。


どんなに超人的な力を授かっていようとも(そして みんな授かっちゃってるんだな、これ。自覚していないひとが今のところ大多数ってだけで)人間、死ぬときは死ぬ(魂は永遠という話はまた別として)
自分たちはそこからは、どうがんばっても逃れることはできない。そしてそれは、実は超絶 幸せなことなのだ。

 


何を言っているか、わかりますか。
ついて来られてますか。
(あ、でも、もしも今わからなくても、気にしなくていいよ。必要な時にきっと思い出すから。)

 


癒すこと イコール ゆるすこと だと思う。

自分をゆるすこと
相手をゆるすこと

相手だと認識している——(でも本当には相手なんていないので、その相手=自分なのだけど)その相手=自分をゆるすこと


ゆるしは最強。
ゆるしは自分を完全に自由にする。

最強のツール。

この「ゆるし」は、「これまでのゆるし」(=今、世間的に「ゆるし」と思われているもの)とは全く違うものだ。

これまでのゆるしは、いわば「囚われの許し」。
許そうとしていることに囚われている。
許すべきものから心が離れていない。そのエネルギーは重く、ベタつき、周りも自分も闇に縛り付ける。

「寛容で恩情に溢れた自分」が「罪深い罪人」に対し、もったいなくも垂れ賜る「許し」。「罪びとたちはそれを涙を流しながら ひれ伏し謹んで受け取るべきであり、そのような恩情を惜しげなく与える自分を崇め奉るべし」という有無を言わせぬ鎖で締め付ける。

誰を?自分を。

そこでは罪びとは永遠に罪びとであり、許しを与える自分とは永遠に別の存在で、決して交わることはない。
その意味で、罪や過ちは取り返しのつかないものとして、永遠にそのままに保たれる。

これが「ゆるし」だろうか。否。鋭い棘を隠し持った醜く重い鎖でしかない。

 


本当の「ゆるし」は自分を自由にする。そこには何の執着もこだわりもない。


「まあ、何てひどい夢。でも夢だった。ああ、夢でよかった。」そう呟いて、ふっと笑みを漏らしながら、陽の光に目を細める。

夢に見た、ひどすぎること。もしもそれが本当に起こったことだとしたら、決して許せないような。

目覚めた直後には「本当にそんなことが、あったのかな。いや、でも、なかったかも」と記憶の断片が漂うかもしれない。

それらは、はかなく消えゆく夢。ただの勘違い。単なる間違い。
すっと、軽やかに方向転換すればいいだけの。
いずれそれらは記憶から跡形もなく消え去り、そんなことがあったのかどうかを考えたことさえ夢幻のようで、つかめなくなる。
だって、本当にそんなものだから。


いろいろな苛立ちや怒りのもとをじっくり眺めてみると。
「この有限で唯一無二の‘体’が、大事な私の’体’が脅かされてしまう!」という恐怖に基づくものが大半だとわかる。


体を「簡単に取り換えのできるマテリアル」であると考えてみてほしい。この人生をドライブするのに便利な車みたいなものだ、と。


どうだろう?
そう考えたとき、同じ怒りが同じテンションで起こってくるだろうか?

車のように、手入れを怠らず、丁寧に慈しんで扱うことで、快適な旅を味わうことができる。

壊れてしまったら修理すればいい。修理ができないくらいになってしまったら新車に乗り換えればいい。


私たちは本当の意味では、死なない。死ねない。
これが真実だとわかると世界がheavenになる。

 

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職場での自分の本当の役目

初対面のかたとプライベートでお話ししていると「ふだんは何をされているのですか?」と聞かれることがある。

「ふだんですか……そうですね。息してますね。。」と言いたいところだけれど(実は真面目にそう思ってる)、ふざけていると思われるし、(最悪の場合、馬鹿にされたと勘違いした相手がキレるなどの)面倒な事態を引き起こしかねないので、たいていの場合は「えーと、ふつうにOLですね」とか「事務職です」とか「税金関係の仕事です」とか、普通の人が一定程度 納得するような答えを返している。

今の職場には昨年の4月に異動してきた。この事務所では2年目の(そのわりには年を食った)新人?なのだが、担当している職務については、他の事務所でやっていた期間を含めると、いつの間にか10年を越えるキャリアの持ち主になっていた。

昨今の厳しい社会情勢の中で、自分の職場も例に漏れず、仕事は増える一方なのに人員は減らされ、初の女性都知事に傾倒している上司のアホな方針によって必要な残業さえも許されず(かと思えば別の部署では終電があればまだマシみたいな過酷な状況が何か月も続いていたりして)、そのアンバランスさ加減に「なんて頭の悪い人員配置なんだ!!!!」と叫ばずには いられないような ぐだぐだ状態のまま、取り急ぎの案件で予定が埋まり、根本的な解決がなされないまま、付け焼刃のカイゼンが提案され実行され、それによって現場はさらに疲弊し、新たなプロジェクトが偉いヒト主導で始まっては 片をつけられないままに継続され、その偉いヒトの失脚によってようやく止められるみたいな循環で、しょうもないけど誰かがやらないと社会が立ち行かなくなるような業務を、息も絶え絶えに(時には行き倒れる輩を出しながら)なんとかこなしている、そんな職場だ(こうやって改めて書いてみると、ほんとにどうしようもないな) 

人事部門の採用計画の完全な失敗により、40代後半~50代の人材が圧倒的に不足している。定年退職したひとを非常勤として雇い入れ、その知識や技術や経験をなんとか次の世代につなごうとしているが限界があり。

そんななかでも、20代・30代の若者たちはよく頑張っている(もちろん、ぐだぐだな奴もいる。が「ぐだぐだな奴が悪い」といいたいわけではない。ぐだぐだな奴や、ビッとした奴や、ふわふわした奴など、いろんな奴がそれぞれの得意を生かして業務を進めていけるといいと思う)

 

そんな若人たちに、10年選手の自分がしてあげられることは何か。

それは、目先の目標数値を軽々と達成してみせることではない。

モンスター系顧客に対する神対応を見せつけることでもない。

 

自分らの仕事の根源的な目的は何か。

限界まで業務を削ぎ落とした時、残るものは何か、そしてその理由は何か。

そういうことに目を向けてもらう。

自分に余裕がある時に そういったことを考えておくと、目先の忙しさに追い詰められてどうしたらいいかわからなくなった時、自分が最低限するべきことがわかって少しだけホッとできる、ということに気づいてもらう。

 だから今日も ささやく。

「目標数値なんて、いい加減な数字なんだよ。だから こだわることないよ」とか「それでも上司がうるさく言ってきたら "根拠はなんですか?”と聞いてみそ、答えられないから」とか、そういうことをボソッとささやく。

それが、今の職場での自分の本当の役目。

 

 

以前からスピリチュアル系のイベントなどに参加すると、よく「ヒーラーさんですか?」 と聞かれた。ヒーラーがいかなるものなのかも わからない自分である。慌てて「違います」と否定してきたものの、自覚なしにヒーラーっぽい雰囲気をそこはかとなく漂わせていたのだとしたら「それはそれで すごいのではないか」などと思う。

 

そして、クリスタルボウルというツールと出会った自分は、奏者&ヒーラーデビューをしちゃうらしいよ。→ イベント情報 Comming soon!

 

 

 

 

 

 

アルケミークリスタルボウルの奏者としてデビューすることになりました!(お知らせ)

 

Facebookなどでは昨日お伝えしましたが、自分、クリスタルボウル奏者としてデビューする運びとなりました。

 

え、なんか急じゃないですか?
そんなこと、ひとっことも言ってなかったですよね?

そう思われたかた、そのとおりです!笑

 

急すぎて自分でも笑っちゃうくらいです。
でも、この布石は十分すぎるくらいにあったのだなあ、と改めて振り返れば思います。
もう十年以上も前から、自分でそれと意識しないままに準備を進めていた様子です。


つーか、クリスタルボウルって何?

ですよね、ですよねー。
私もよく知りませんでした(おととい、初めて触りました)。
もう10年くらい前に一度演奏会に行って聴いたことがあったくらいで。

 

クリスタルボウルというのはその名のとおり、クリスタル(水晶)を砕いた粉を型に入れ、高温で溶解して形成したボウルです。
クリスタルボウルは大きく分けて3種類あって、自分が今回出会ったのは アルケミークリスタルボウルという、純度の高い水晶に様々な宝石や鉱物が加えられたもの。

     ↓  これ

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@MANIMANA CRYSTAL & CRYSTAL BOWL (クリスタルショップ マニマナ)

 

色が違うのは含まれている宝石や鉱物が異なっているから。

全く同じものは絶対にできないので、本当に一期一会なものになります。
それはまさに出会い。
そして、演奏もボウルとマレット(バチ)の出会いなのですって。

しかも、同じボウルでも奏者によって全く異なる響きになります。
それは、単に奏法の問題ではないようです。
たとえ奏法は全く同じで、寸分の違いもなかったとしても、同じ演奏や響きにはならないということ。なぜなら、クリスタルボウルは奏者の内面を増幅し反響させていくからです。そして、放たれた波・エネルギーはいずれ奏者に帰っていきます。

そのように私たちは互いに響き合い影響し合っていることを、クリスタルボウルは端的に教えてくれます。

不思議な音、響きです。
倍音の波にさらされ続けると「自分の体の大部分は水なんだなぁ」と改めて思い出したりします。

体や心や魂に、いろいろな効果があるのかもしれません(何もないのかもしれません)が、自分は今のところ、クリスタルボウルについて あまり多くの言葉を持ちません。
知識がないから という理由もありますが、言葉で伝えられることの限界をしみじみと感じてしまうからです。
なので、気になったかたは ぜひ聴いてみてください。

宮古島ツアー(8月25日〜9月2日)で正式にお披露目しようと考えていますが、その前に、圭吾さんと相談して大丈夫でしたら 菊名のごちゃまぜの家でちらっと何かするかもしれません。

今後は演奏会のほか、ヒーリングバス(音浴)、個人ヒーリングセッションなど、少しずつ試みていく予定です。

以上、取り急ぎのお知らせでした。