K go to NEXT:いばやスタイル実践記

ibaya《いばや》坂爪圭吾さんリスペクトブログです

それでもあなたは、確実に愛によって生かされている。

ひとは、一人ひとりが個別に存在しているように見えて、その実、互いに絡み合い、深く影響しあって、ここにいる。
この世界にいるひとは誰であれ(それがどんなに幸せなものであろうと、おぞましいものであろうと) 父と母が結ばれてこの世に生まれてきた(ことになっている)。
その父と母だって祖父母が結ばれて生まれたのだし、そしてさらに祖父母の父と母も……(以下、無限)。

赤ん坊は、誰かの手で抱かれなければ、あっけなく死んでしまう。
誰かに優しく抱かれること。お乳を飲ませてもらうこと。おしめをかえてもらうこと。お風呂に入れてもらうこと。撫でてもらうこと。微笑みかけてもらうこと。子守唄を歌ってもらうこと……

すべて、周りのひとたちの愛でなされている。
愛がそのような形にあらわれている、と言ってもいいかもしれない。

だから今、生きているひとはみんな、愛で育てられた。
愛がなければ死んでいたのだから、今 生きて息をしているということは、絶対に愛に包まれて愛に育まれていたし、今も愛が流れ込んでいる証拠なのだ。

仮に今。
あなたが、この世界のどこにも愛を感じることができなくて、寂しくて悲しくて、どうしようもなくて、絶望の淵に沈んでいるとしても。
それでもあなたは、確実に愛によって生かされている。


☆☆☆

 

夫とパートナーシップのありかたについて、少し前から話し合っていた。

実は、自分と夫は(少なくとも10 年以上)セックスレスである。
前回がいつだったかすら、もう忘れてしまった。。。

もともとは、結婚後1年足らずで夫が鬱を患ったことによって(あらゆる欲がマイナスに振り切れ「生きていてごめんなさい」状態に陥るので)そうなってしまった。

 病状はよくなったり悪くなったりを繰り返し、それに連動して仕事も休職と復職を繰り返す中で、ある日、彼の中の消化できない何かをぶつける形で体を求められたことがあった。
それがとてもつなく嫌だった。
自分のカラダを通して、自分が貶められる気がした。
全力で拒否したら、それ以上無理強いされることはなかった。優しいひとなのだ。
だけど、お互いにそれで心が傷ついてしまった。

 

「こういうことで、今、むしゃくしゃしている。申し訳ないけど、これを解消したいので、そういう感じでセックスしたい」
と言われていたら違っていたかもしれない。「オッケー!じゃ、そういう感じで!!」と。多少乱暴でも、それはそれとして、受け入れられたかもしれないと思う。「こういう形でこのひとの辛さを分かち合えるのもいい」と逆に燃えていたかもしれない。

 

が。
もともと、彼とのカラダの相性が微妙だったこともあり、この日以降「セックス? あー、どっちでもいいや」的になってしまったみたいだ。

あの日、自分がどう感じたか、夫に話したことはない。

 

 

夫の病気が小康状態となり、仕事に復帰して4年が経った。

その間、今度は自分が抑うつ状態で1年間仕事を休んだりしていたため、直接この問題に取り組む状態ではなかったのだが、自分も復職して1年が過ぎ。。
夫は本当に元気なってきたのだろう、セックスしたいと言い出した。が、それが本気なのかどうか、よくわからないところもあった。温泉旅行に行っても、いつもと同じように呑んでしまって、彼の中では「酒>セックス」なのかな、と思った。

こっちが微妙に乗り気でないのを敏感に感じ取っていたから、そういう態度だったのかも、と今にして思う。

夫はこの2月からまた不調期に入って仕事は休んでいるものの、少し上向きになってこの8月なかばから復職訓練に入ろうかという今。

ポリアモリーという言葉を最近知った(複数恋愛、みたいな感じか。詳しくはググってほしい)。
これだ!!と思った。
なので、夫に自分はこれかもしれないと伝えた。
けれど「違うと思う」と返された。「いやいや、自分の傾向がこれだって本人が言ってるんですケド??」と思ったけれど、その時はそれ以上は言わなかった。

その日の深夜。夫が話をしにベッドにやってきた(体感気温の差により夏の間は家庭内別居となっている)。

自分としては思い切って「今は誰ともセックスしたくない気分である」ことを伝えた。もちろん、それは今の気分であって、今後どう変わるかはわからないということも。

 夫は受け入れてくれた。
夫が恐れていたのは「自分とセックスしたくない(ほかに好きなひとがいるから そのひと 以外はイヤ(=操をたてる)的な感じで)」ということだったらしい。
ほかに好きなひとができてしまうことについても、それは自然なことだから仕方ないとも理解してくれた。

 

 


つづく