いばやスタイル実践記〜歌とACIMと ときおり数秘

ACIM(奇跡講座・奇跡のコース)学習者による ibaya《いばや》坂爪圭吾さんリスペクトブログ。即興の歌やトリニティ数秘術、クリスタルボウルについても語ります


    場所:菊名 Scramble House Tokyoの2階 (外階段をあがって右側、最初の扉)
    定員:1名(ただし事情がある場合は応相談)
      使いたいかたはKまでご連絡ください
      メインの畳の部屋と、板の間の台所の二部屋です。
      電気、照明あり。水、トイレあり。ガスは当面 使えません。
      シャワーは1階でお願いします。
      ベッドも布団もありません。
      空気で膨らませるソファがありますが、寝るには不適かも。
      (ドライヤーと扇風機を1階から借りてきて設置してください)
      宿泊希望の方は、当分の間、寝袋持参でお願いします。



かつての声を失って代わりに得たもの。コーラスとダンスと新しい仲間たち。

今わたしは、以前の声を失っている。
宮古から帰ってきた直後は普通に喋ることすら ままならなかった(なので余計なことをしゃべらずに済んだ。「絶賛 自分と向き合い中」だったので、むしろちょうどよかった)。

にもかかわらず、歌だけは歌えた。それも、これまで得意だった中高音域の歌ではなく、男性ヴォーカルの曲や、女性のアルトやハスキーヴォイスのかたの曲が非常にしっくりくる。そして謎なことに、コーラスなら高音も難なく出るのだ。

以前ならこんなコンディションでカラオケに行くなんてありえなかったが、なぜかカラオケに行ったり、音楽イベントに参加したりして、新しい声の使い方に慣れていこうとしている。
そして、もしかして元の声はもう戻ってこないのかもしれない、と感じたりもしている。

わたしの音楽つながりの友人たちもその多くが、様々な理由により かつての声を失っている様子。単なる風邪とか、使いすぎとか、そういうことではないな、と直感した。

ここからは勝手な妄想なのだが、これまでの声を捨てよということなのかもしれないと思う。
これまで何十年間か、自分のやり方で声を発し、それなりに声を使いこなしてきたわけなのだけれど、それではもう伝わらない時代になったから。

かつてのやり方では通用しない。
あるいは。
言葉を捨てよ、ということなのかもしれない。
言葉を使うにはどうしても思考を使う。それを越えろ というということか。頭を使うのではなく、その瞬間を感じ取ってそこから表現していくツールにせよということか。

 

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誰かのリードヴォーカルに合わせる形で、即興でコーラスを乗せる というスタイルの演奏が今、自分の中で面白くてしかたがない。
こんなこと、自分にできるとは思っていなかったのだけど、8月22日の鳥羽玲糸ちゃんのイベントで初めて体験して、それからずっとそんなことをやっている。それだけでなく、歌い、踊り、手を叩き、空間を自由に移動しながら、内側からやってくるものを表していく。

 

玲ちゃんのイベント↓

 

REBOOOOORN祭で出会ったのりちゃんのイベント いのちの舞 vol.2

 


即興なので、「同じものをもう一度」というリクエストに完璧に応えることはできない。それでもその時その場に一番必要な音と波動を出しているという自信はある。

そして、「ああ、自分はこれをやるために、今世 生まれてきたのだな」とわかってしまった。中二の夏休み、指の皮を何度も剥きながら毎日ギターの練習をしたのも、学生時代にバンドをやってたのも、社会人になってから10年以上もコーラスを続けていたのも。
ああ、全てはこのためだったのか、と。


日本中、いや、世界中の様々な場所がわたしを呼んでいる。
そこで歌って舞って、何かを完結させる。それをしにいかなくちゃ、なんだ。

 

楽器としての体をうまく使うこと、柔らかくしていくこと、それによって心も十分にほぐしていくことなどを改めて楽しみながら勉強していくことにした。
元氣堂で出会った古賀有紀さんがそういったイベントを多くやっている様子なので、かなりお世話になる予定。それだけでなく、個人的にもいろいろ体を使ったワークをしたりカラオケで声を出し合って遊んだりしていくみたい。

そんなこんなでイベントに参加。↓