いばやスタイル実践記〜歌とACIMと ときおり数秘

ACIM(奇跡講座・奇跡のコース)学習者による ibaya《いばや》坂爪圭吾さんリスペクトブログ。即興の歌やトリニティ数秘術、クリスタルボウルについても語ります


    場所:菊名 Scramble House Tokyoの2階 (外階段をあがって右側、最初の扉)
    定員:1名(ただし事情がある場合は応相談)
      使いたいかたはKまでご連絡ください
      メインの畳の部屋と、板の間の台所の二部屋です。
      電気、照明あり。水、トイレあり。ガスは当面 使えません。
      シャワーは1階でお願いします。
      ベッドも布団もありません。
      空気で膨らませるソファがありますが、寝るには不適かも。
      (ドライヤーと扇風機を1階から借りてきて設置してください)
      宿泊希望の方は、当分の間、寝袋持参でお願いします。



自分にとってセラピーになることをしてみるといい/それは絵かもしれない、歌かも、舞かも、散歩かも

平成29年10月2日、東京都港区神谷町の光明寺で行われた、アーティストの小木戸利光さんと僧侶の松本紹圭さんの対談&パフォーマンスのイベント。

対談を聞きながら琴線に触れた言葉をスマートフォンにメモしたので、それを再構築してみる。

 

 

今の世の中は、成果主義。とにかく「最高レベルの成果を(しかも最短スピードで)出すこと」を良しとし、それを求められる。

「いつもいつも、ここではないどこかへ向かうべく、目標を設定しそれに向かって邁進すること」を良しとし、それを求められる。

 

しかも「成果を出したらゴール」「目標をクリアしたらゴール」ではなくて、一つを頑張ってクリアしたら、次々と何かが用意されてしまって、頑張るべき状況は続く。

 

いつも何者かになろうとしている。

その理想の姿はどんどん先送りされて、いつまでもたどり着けない。そんなことをしているうちに死ぬ。

「掴むべき理想的なものがどこかにあって、それさえ つかめば成功」みたいなことをみんな(っていうみんなって誰だ?)が思い込んでいて、そう思うことを強要される。そういう社会的圧力がある。

「それさえ つかめば」の「それ」って実際には ない。どこにも存在しない。架空のもの。

 

その状況に特に違和感を感じず、ぴったりハマって頑張れるひとや、頑張ることがやる気に繋がっていたり やり甲斐に繋がっていたりするひとならば、それはそれでOK

ただ、そんな社会の圧力に、息苦しさや生きづらさを感じているひともいる。

そういうひとは、自分が周りの期待に応えられないことを恥じていたり、罪悪感や劣等感を持っていたりする。

 

そういうひとが、してみるといいこと。

自分にとってセラピーとなることをやってみるといい。

 

それは自分自身が深く欲していること。

「やりたいことをしよう」といわれると範囲が広すぎてよくわからなくなってしまったりするけれど「セラピーになること」と限定してみると、具体的にわかって始められるかもしれない。

小木戸さんの場合は、それが音楽であったり、体の動き(舞、パフォーマンス)であったりする。

 

何か理由はわからないが、それをしていると没頭していて気づくと時間が過ぎているようなことがあれば、どんどんそれをやってみて。

その先になにか見えてくるものがあるかもしれない。

それが自分にとってセラピーになること。

 

その、自分にとってセラピーになることをしようとすると、あるいはしていると「こんなことをしてていいのだろうか」という気持ちになるかもしれない。

いいのです!

「これがないと生きられない。わたしにとっては切実なこと」なのだから。

自分にとって なければならないものとして、大切にしてください。

 

常識とずれていることに後ろめたさを感じるように私たちは教育されている。

日本はその傾向がかなり強い。「~〜でなければならない、ふつうは〜~だ」などの社会的圧力。

 

例えば「どうしても絵を描かなければならない」というひとがいる。

その人にとっては描くことをしなければ生きられない。

その人以外の誰も、そのことを勝手な物差しで測ることはできない。

 

誰かから後ろ指を指されそうで、こっそりやっているかもしれない(でも本当は敵は存在していないよ)。

こっそりやってもいいけれど「ほかの誰かはどう感じるかは知らないが、自分にはこれが必要だ」と自分で認めることができると楽かも。

 

「本当の自分(という変わらないもの・あるいは理想的なもの)と今の自分が何かずれているから辛いのだ」と、感じてしまうかもしれない。

「変わらない自分」というものがあるような気がして、探してしまう。けれど本当はそんなものは、ない。

常にわたし自身も変わっていくから、「変わらない自分・本当の自分」などというものは幻想。

固定された「これが私です!」というようなものは現実にはない。

 

今、わたしは宇宙のどこにいるのか。イメージしてみて。

宇宙には端も境界線もない。

さあ、自分はどこにいる?

 

中道。

 

小木戸さんの舞は、見せるためのものというよりも、動くこと自体が大切だという印象、内的な動き。

小木戸さんは自分の中から出て来るもの(舞)でチューニングしている印象を受けた。

そのチューニングは、「よし、これでバッチリハマりました。ずっとこのままで いける」ということはない。

ずっと調整(チューニング)し続ける。

 

その時その時で自分が深く欲していることをすること。

し続けること。

 

それが、息苦しさ(=生き苦しさ)を軽減する一つのやりかただと思う。

 

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 Photo by 東 優子